回復する子供 - 毒を抜くために

毒親から回復する子供のお話。

師のこと、トラウマのこと。。。

僕には、とても深いトラウマがある。。。

「トラウマ」、むしろ「インナーチャイルドの癒えない傷」といった方が近いのかも知れない。

これらを、「複雑性PTSD」とか「愛着障害」とも表現する場合があって、その先に症状が出てくるみたいなんだけど。。。

今日は、僕自身のことを書きたいと想う。

・・・昔を、整理する意味で。

今年の夏前に、両親と絶縁をし、そこから苦しみながらも、回復を続けています。
実の妹とは連絡は取れるようになってるけど、返事をしていない。

僕の父親は、サイコパスと言われ、母親は境界性人格障害(ボーダー)、と言われている。

要するに、「毒親」なのだ。しかも、比較的酷い環境だった・・・。

幼稚園の頃……

両親は、毎日のように酷い夫婦喧嘩をしていた。
ある日、母親は僕らふたりを連れて、実家に帰った。要するに別居、というやつだ。
幼稚園は、知らない間に転校させられ、知らない人たちに囲まれて、友達も居なくて、毎日・・・独りで泣いてた。

その後、なんとか話し合いが持たれ、無事に家に帰ることは出来たけど、この頃はとてもショックだった。。。

小学生の頃……

低学年の頃は、ずっと学校で暴れてた気がする。
あの時、僕は、自分を構って欲しかった。もっと、愛して欲しかった。。
だけど、先生は……授業中暴れる僕を無視してた。
まったく、満たされなかった。。。

3年・4年の頃は、正直ほとんど覚えていない。

5年になって、部活をはじめた。
周りとは1年遅れ。
友達と同じ、運動系の部活に入った…
そこで、………いじめられた。

中学生の頃……

 いじめは、続いた。
自宅も、居場所がなかった。。
毒親達は、僕を厄介者扱いし……そして、相変わらず毎日喧嘩をしていた。
気に入らないことがあると、僕に当たられた。

 学校では、その自信の無さとかかからか……やはりいじめられた。
いじめは、エスカレートを続けた。
暴力もあった、精神的ないじめも、あった。机の中やカバンの中も、実家にも、自由がなかった。。。
ある方法で、なるべくバランスを取れていたから、なんとか……身は持ったのかもしれない。 

ある時、親にキレて、祖父宅に避難した事がある。所謂、「家出」というヤツだ。
その時、目が急に悪くなって、メガネを作る必要があった。
その時、久々に会った母親は、メガネ屋で「実家に帰るように」優しく説教をしてきた。もちろん、無視した。
その翌日、母親がキレた。。。自分勝手なやつだ 。

受験期になって、親もイライラがピークだった。
凄く、自分も辛かった。親が、とにかく面倒だった。。

なんとか、高校に行き、そこで中学の面倒な人たちが片っ端から脱落してくれて。そして、似たような仲間が集まったので、高校は楽だった。

親への怒り

僕はいま、親への怒りと、中学時代に、もの凄い怒りと悲しみを感じている。
そして、それが心の奥から湧き上がってきた時……現実も、少しずつ変わってきた。

本音は、ここを通り越したい。
だけど、時間、掛るだろうな。。